健康コラム COLUMN

【創業58年、時が止まったような ドライブインに起きた奇跡】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年7月14日

こんにちは。皆様、おかわりありませんか?

店の軒下ではツバメのヒナが日々大きく育っています。

今月中には巣立つのかな〜と巣を見上げ る毎日です。

 

さてさて、今回は クスリの話題から 離れたお話をしましょう。

私が中学二年生の頃 我が家に初めて、自家用車がやって来ました。

真っ赤なダイハツフェロー三六〇cc。大人ふたりと子供三人できっちきちの小さな軽自動車でした。

生まれて初めての家族全員でのドライブは、西条市にあった「りんりんパーク」という大きなドライブインに行って、食事をして帰ってくることでした。

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この、たったそれだけのことですが、六十七歳の今でも当時の車内で食べた物、飲んだ物をリアルに覚えています。ホントに楽しかっ たんでしょうね。

 

でも、ほどなくして、真っ赤なダイハツフェローは、トラックに変わってしまいました。父親が鉄工所を始めたからです。私たち子供も家族で遊ぶ年頃ではなくなり、父の仕事も順調で、家族全員で行った自家用車でのドライブはそれが最初で最後になりました。

 

私が大学生の頃の憧れは、車の免許をとって、可愛い彼女を車の助手席に乗せて好きな曲を流しながらドライブをすること。 そしておしゃれなドライブインでお茶することでした。

その頃、四国の主要道路にはたくさんのドライブインができていました。妻との初デートも徳島県方面へのドライブ、そして池田町のドライブインでのお茶でした。

 

緊張しまくっていた私は、ホットコーヒー、妻は紅茶とケーキ。

本当は私もケーキを食べたかったのですが、カッコつけてブラックコーヒーだけ注文しました。(本心はコーヒーにも砂糖をたっぷり入れたかった…)

 

あれから五十年近く経ってあれほど各地にあったドライブインもほとんど消えてしまいました。 誰もがドライブインのことなんか昔のこととして忘れてしまった2022年、あるネットニュースが話題になりました。

 

『 創業五八年、 時が止 まったようなドライブインに起きた奇跡! 「エモさ」で人気沸騰! バス会社のドライブインがSNSで“見つかる” 』  「エモい」とは… 英語の「エモーショナル」を由来とした俗語。なんとも言い表せない素敵な気持ちになった時に使う。感情が揺さぶられた時、予期せず感動した時、心地よい懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われた時に使うようです。

 

なんと! その場所とは 「大川オアシス」 というドライブインです。

えっ?なんで 今更ドライブインなの?

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香川県さぬき市。 国道十一号線沿いの高台にあり店内の座席から一望できる 瀬戸内海の景色がウリです。

それだけでは なくアメリカ、シカゴの「ダイナー」を参考にしたというレトロ&モダンな建物が 手入れされ 残っている。

そして、カフェ内で出されるクリームソーダやパフェ、クラブハウスサンドなどの手間のかかる純喫茶メニューが当時のまま出される。

 

今の若者や、昔若者だった人たちにとってはまさに「エモい」という言葉がピッタリ!

 

コロナ禍でもSNS映えするドライブインとして知られるようになり、 昔の賑わいを取り戻しているようです。  高速道路ができたせいで売上が半減した時代も、コロナで来客が減少し始めた時も、大川オアシスの窓やステンドグラスはピカピカに磨かれ、建物は古びていても、よく手入れされ、昔の状態が維持されていました。

 

ソーダのグラスは曇りひとつなく磨きこまれ、手間のかかるカフェメニューは、熟練した老スタッフの人たちによって作られコーヒーはこれまた手間のかかるサイフォンで入れられます。

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それらは創業当時と何も変わらず、淡々と行われ続けています。

細部に至るまで「そのままの状態」を維持してきたからこそSNSでひょっこり「見つかる」という幸運を掴んだんだと思います。

 

変えてはいけないものは頑なに変えない頑固さが、こんな奇跡を生んだんだと思います。

昭和の良いところが残っていてそれが再注目される。

いい時代がきたのかもしれません。

純喫茶メニュー大好きヒロシでした

【時代の変化に順応できる柔軟な脳力】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年6月15日

こんにちは。 おかわりありませんか?

各地でロックフェスティバ ルやコンサートが開催され 始めました。

大型連休後も感染者が急激に増えたわけでは なさそうです。ヨカッタ!

 

新型コロナとの付き合い方にみんなが慣 れて来て順応できる ようになったからか もしれません。

ここが一番大事!

一番嬉しいのは、新型コロナに対する感覚が冷静になっているということです。

 

さてさて、今回は「屋」と いう字が最後につく商売について少し書いてみます。

私が子供の頃は、この「屋」という字のつくお店で町は賑わっていました。

酒屋、タバコ屋、 八百屋、魚屋、肉 屋、米屋、パン屋、 お菓子屋、駄菓子 屋、靴屋、傘屋、 雑貨屋、荒物屋、 家具屋、電気屋、 洋服屋、呉服屋、 おもちゃ屋、

そして薬屋。

ざっとこんなものでしょう かね。

あれから六十数年が 経ち、「屋」というお店が姿 を消しています。

 

薬屋も、私が開局した昭和 五十三年には、四国中央市 には二十五件の薬屋がありましたが今では八件しかありません。

(市としてはまだあるほうです。)

本屋は個人の店はゼロ。 大手チェーン二件になりました。家具屋はゼロです。

あれほどあった酒屋も数件になりました。

 

今から三十年ほど前、私が息子と同じ年齢の頃、よく 経営コンサルタントの講演 を聞きに行っていました。

当時、薬業界も大きな変化 の岐路に立っていると感じたからです。

ある時、有名な経営コンサ ルタントの先生が松山にく るということを聞いて、店 は臨時休業にして聴きに 行ったことがあります。

 

先生談。

「これからの時代は「〇〇屋」という名前のつくという店は無くなります。

例えば酒は酒屋で買うので はなく、コンビニで買う時 代が来ています。

先見性のある酒屋の 経営者はどんどんコンビニに業態を変え ています。生き残りをかけて。

もうすぐ薬屋もドラッグス トアーにとって変わられます。

「屋」という名前のつく 店は時代の変化に順応して いかなければ生き残れません。

皆さま薬屋さんも、変化を恐れず、時代の変化に順応する 勇気を持ってください。」

 

すごく刺激的な話でした。

彼のいう通りに、本当に屋のつく店は無くなりつつありました。

 

この先生の話を聴いてからしばらくして、私は薬屋としての方 向性を決めました。

 

この先生の話の正反対の店を作 ろう! 小さなドラッグストアーじゃな くて、ドラッグストアーが絶対 に真似のできない、じっくり相 談のできる薬屋を!

 

そして平成六年、専門のデザイナーを入れて、普通の薬屋から カウンセリング中心の相談薬局 に全面改装しました。

それが今の鈴木薬局です。

 

その後、ほとんど店に手を入れておりません。完成されているなあと今でも感じます。

あれから三十年が経ち、私の時 代はもう終わりかけているなあ …と感じます。

 

息子のやっていることをすぐそばで見ていると、今は私の時代よりも、もっともっと大きな変 化の中にいるんだ!と実感するのです。

これも、気力、体力、活力の充 実した柔軟な息子の近くに居る からこそ、今の時代の変化を感じられるんだと思います。

 

老夫婦二人だけでやっていたら 今の時代の変化にまったく気が つかないまま、店を開けて お客様をじっと待っていると思います。

「今日もヒマだね〜。世の中、 不景気だから仕方ないよ。」 などと言いながら。

 

今日もオンラインのZ00m相 談やSNSで大忙しの健を見な がら、私はのんびりとお客様に お礼の絵葉書を書いています。

「変わらなければならないものは大きく変え、 変えてはならないものは、ガンコに変えない」 ちゃんと受け継がれているようです。

ヒロシでした

【「気の病」に取り組んで】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年6月7日

こんにちは お元気ですか? 今年は長く桜を楽しめまし たね。

我が家では健の次女 が小学校へ入学、三女が幼 稚園に入園とおめでたいこと続きです。

 

二人とも、毎日元気 いっぱいご機嫌で通 っています。

前回でも書きましたが、私が最初に取り組み始めたの は「心の病」の中でも「自 律神経失調症」でした。

この病は、ドクターが最も苦手とし、病院に行ってもすっきりと治らない病気。

当時の私は

『学んでいた漢方ならなんとかなるのでは?』

という軽い気持ちでこの病に取り組み始めました。

今から思えば怖いもの知らずの若造でした。(活気溢れる若者の特権かもしれませんが )

 

私は漢方については、二十二歳でこの業界に入った時 からずっと、いろいろな先生について学んできました。

が、「気の病」については、 治療法について書いた書物 もなければ、もちろん、まわりに教えてくれる人も誰 もいませんでした。

誰もやっていないということは、全てを独学で勉強し  試さなければならないということです。

 

一から全て自 分で経験して学ぶしかあり ませんでした。ある意味、 お客さんが唯一の先生であ るということでもありまし た。

ところで、漢方ではまず、 患者さんの訴える症状と体質を見極めて処方を決めて いきます。

これに最も時間 がかかります。

 

自律神経失調症という「気の病」の特徴は、治療の過程で患者さんの訴える症状がコロコロと変わっていき ます。

これが厄介なところなんです。

例えば、最初相談に来られ た時の訴えは、頭重感・頭痛・ 肩こり・めまいだったのに、

治療していくうちにそれらの症状は軽くなったかと思ったら、次は胃が重く、下腹部の張りが気になり、 下痢と便秘を訴えるように なります。

 

その次は…と。

 

これらの症状にとらわれると、その症状に合わせて処方も変わっていきます。

次から次へと。これが自律 神経失調症を 治療する時に 悩まされる ところです。

 

ドクターをも悩ませ、迷わ せる。そればかりか問診に とても時間をとられてしま う。

現在の保険診療ではそ んなに時間は取れません。

 

今だからこのように全体像 を客観的に話せるのですが、当時(三十歳前)の私はまだまだ経験も浅く、患者さんの訴え る症状に振り回されていました。

 

どの処方が正解 なのか訳が分からなくなるのです。 こんなことが数年続きました。

うまくいきません。

失敗の連続です。

 

当時の患者さんには大変ご迷惑 をおかけしました。(大反省)

 

私が学んできた漢方では、この 病は治せないのかもしれない? そのうちストレスのあまりに私自身も自律神経失調症になった こともありました。

 

ところが… そんな時、私の考え方を根本から変えてしまう薬に出会います。

 

名薬「牛黄清心元」です。

 

今までの日本漢方の処方の中にはなく  「牛黄清心元に加えるべき生薬 は何ひとつなく、減じるべき生薬もない。これほど完成された 漢方処方は他にない!さすがに 王様のために作られた薬だ!」

 

と、日本を代表する 中医師の先生に言わしめるほどの漢方薬でした。

 

この薬は一般的には、

心臓の働きを調整したり、血の巡りを良くしたり、高血圧に伴う様々な 症状を緩和したりと、主には循環器系の症状に使います。

 

しかし実は日本の「気の薬」の 原点になる処方なのでした。

 

当時、このことに気づいていた 薬局の先生はあまりおらず、ほ とんどの人は循環器系の病気に使っているのが実状でした。

 

このことに気づいた私は、いろ いろな症状を訴える患者さんた ちにこの薬を使うようになりま した。

そしてその後もいろいろ  な試行錯誤の結果、 「気を作り気を巡らせることに    よって気の病はおのずから治る」 ということに気がつきます。

 

そして日本に現存している「気 の薬」を探し出してきて、片っ端から使うようになりました。

「感応丸氣」・「はらはら薬・翁丸」 などもその頃に見つけだした薬 です。「敬震丹」も最高の気の薬ですね。

 

これらを実際に患者さんに使っ てみると、その効き目の早さと 良さに驚かされます。

従来の漢方の処方薬とは全然違う!他人 や身内の人にすら気を遣う気配り体質の日本人のために、昔の日本人が作り出した和漢薬でした。

気という脳のエネルギーを大量に作り、  それを全身に巡らせ るという治療法、これを確立し たのは、気の病に取り組み始め て二十年近く経っていました。

 

今では健も自律神経の専門家になりました。そして私が四十年かけて見つけだしたやり方を受け継いでくれています。

 

さらにSNSを使って毎日発信 しています。

「もっとみんなに相談薬局の素晴らしさを知ってもらわんといかん!」と言いながら。

 

名薬も健も、見つけられるのをじっと待っている …(笑)

 

ヒロシでした。