意外! 超高齢者の病気回復に 一番大事なのは「気力」①
2025年12月11日
今回は、九四 歳の私の父について 少し書いてみたいと思います。
父は、今は独りになり、サービス付き高齢者住宅に入所しています。
七五歳から心臓にペースメーカーを入れていて、八七歳の時には心筋梗塞になり心臓のバイパス手術。
(当時その病院ではこの手術をした最高齢者だったそです)糖尿病もあり、投薬でコントロールしています。
でもすこぶる元気で、身の回りのことはちゃんと自分でし、時間になったら歩いて食堂まで行き、いつも食事は完食です。
毎日、新聞を自分の部屋に配達してもらって、隅から隅まで読み、政治経済を語っています。
そんな父ですが・・・ 今年の二月~四月は大変でした。その時のことを書いてみます。
二月の定期診察の日、主治医の強い勧めで、突然、入院することになってしまったのです。
その二か月ほど前から両足のひざ下がパンパンにむくんでいました。
投薬で治療していたのですがちっとも良くならず、さらに、普通ならすぐに治るような左足のちょっとした傷がなかなか治らずに潰瘍化して、傷がふさがらずにそこから大量の浸出液(リンパ液)があふれる状態だったのでした。(吸水パットをしていました)
その経過をずっと見てくれていたドクターは 「一度、入院して水分制限とカロリー制限をして、このむくみを治さない限り、この傷は治りません。
この状態を続けると最悪、足の切断ということもあり得ますので、入院をお勧めします」 とのこと。
「入院は絶対イヤじゃ!」と、私たちの言葉に全く耳を貸さない父でしたが、ドクターのこの言葉に諦めたようで、しぶしぶ入院。
そこから九四歳の入院生活が始まりました。 心臓バイパス手術の入院以来、七年ぶりの入院です。
私にできることは 主治医と話をして、病院の治療薬と一緒に、私の処方した漢方薬を父に飲ませてもらうことでした。
これは常識では、かなり難しいことです! 普通は断られます。
でもこのドクターは高齢者医療にとても理解のある方でした。
私の話を聞き終わるとすぐに 「薬剤師の鈴木さんならお父さんのことをずっと見てこられているから大丈夫ですよ。担当看護師に漢方薬を預けておいてください。」 と言ってくださいました。
これには私のほうがビックリしました。
参考までに、その処方内容を書いておきますね。
・霊芝(エキス原末)
・田七人参(丸剤)
・ワタナベオイスタ(粒)
・ミヤリサン(錠剤)
これらを毎食後に病院の薬と一緒に飲ませて貰えるように一回分ずつに調剤し、二週間分ずつ病院に届けることになりました。
入院した父は、一気に病人になっていました。
ドクターの「最悪、足を切断することになる・・・」の言葉が相当堪えたのでしょうか、気力がまったくなくなっていました。
施設にいた時と比べて、特に自覚症状が悪化したわけでもないのに、ぼんやりした顔でずっと布団の中に横たわっていました。
それまであまり見たことのない情景です。
それまでは、朝起きたら自分の布団をきちっと畳んで、椅子に座って新聞を読んでいるのが入院前日までの父の姿でしたから。
別人になったかのように気力がなくなって気弱い言葉と不満ばかり口にしていました。
「病院の食事はマズイ!こんなんじゃー栄養失調で死んでしまう!ひどい食事じゃー」 と私が見舞いに行くたびに病院食の不満ばかり訴えていました。
そして、あれほど読んでいた新聞も袋に入ったままで開いた形跡のない日が続いていました。
「こりゃあ相当ストレス溜まっとるなぁ」 そう気づいた私は父のストレスを少しでも和らげようと、あることを毎日し始めました それはなんだと思いますか・・・?
次号につづく
認知症は予防できる!毛細血管のゴースト化から始まる認知症!
2025年7月7日
今回は全身の 血管の99%をしめる 毛細血管について書い てみたいと思います。
その前に 「血管のゴースト化」 って何?
それについて少し説明しておきますね。
全身の細胞のひとつひとつにまで酸素と栄養を届けたり、細胞の中で出た老廃物を排出するための血管が 毛細血管です。
その毛細血管の「姿」は残っているけれども血液が流れていない毛細血管のことを「ゴースト血管」といいます。
この状態が続くと、血管はいずれ消えてなくなります。
まるで幽霊のように…
だからゴースト血管といいます。
意外なことに健康な若者の中にも一割の人にゴースト血管が見つかったそうです。
毛細血管がゴースト化してしまうと、酸素と栄養を絶たれた細胞は壊れます。
これがじわじわと体に重大な問題を引き起こし、結果深刻な病を引き起こします。
数年前、NHKスペシャル「ゴースト血管が危ない!美と健康のカギ・毛細血管」という番組を見ました。
その中でとても興味深い 二点を書いてみます。
愛媛大学の伊賀瀬先生の研究によると
◯脳内の毛細血管の流れが悪くなって生じる「白質病変」があると、軽度認知障害のリスクが二倍に上がり、最終的には認知症に進行するという。
◯毛細血管が減少すると、認知症の原因であるアミロイロベータの排出ができなくなり、脳内がゴミでいっぱいになってしまう。
この二点の研究データは これからの高齢者医療のポイントになると思います。
「毛細血管のゴースト化を防ぐことが認知症を減らすことになる」 ということです。
ところが残念ですが・・・ 現在、病院の薬の中には 「毛細血管のゴースト化を防げる新薬」 は見つかっていません。
言い方を変えれば 「病院の薬では毛細血管の ゴースト化を防げない」 ということです。
この番組の中でも 毛細血管のゴースト化を防げるものとして 「シナモン(桂皮ケイヒ)」「ヒハツ」 「ルイボスティー」 が紹介されています。
「これらはすべて自然のものです。
皮肉なものでこれだけ医学や科学が進歩した現代でも全血管の99%をしめる毛細血管の「ゴースト化」を防げるものは「自然のもの」であるということなのです。
また大昔から漢方医たちが使い続けてきた生薬の中にも ゴースト化を防ぐものがたくさんあります。
有名なものとしては 「牛黄 ゴオウ」 「霊芝 レイシ」 「高麗人参コウライニンジン」 「田七人参デンシチニンジン」 「桂皮 ケイヒ」 「遠志 オンジ」 「サフラン」 など多数。
そしてなんと、食品としては 「バイオリンク (筑後産クロレラ)」 があげられているのです。
私の父(94歳) 妻の両親(96歳・92歳) 三人とも頭は冴えています。
長年これらの自然薬を飲み続けているおかげだと思います。
90歳を過ぎた三人を身近に見ていると 「人間は血管と共に老いる」 という言葉を実感する今日この頃です。
ヒロシでした
【私の薬屋人生のターニングポイント②】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP
2024年12月23日
次回の続きです。
お待たせしました。
あれから明石のおばさんの身に起こったことをお話ししましょう。
小さなアパート暮らしから始まった慎ましい都会の生活の中で、おばさんたち一家は、新設された県営住宅の抽選に当たり以前に比べて広くて快適
な住居に住めることになりました。子供も女の子と男の子のふたり授かりました。
でも依然として自律神経失調症に悩まされていました田舎の母親(私の祖母)も相変わらずおばさんの所に通っていました。
ところが、数年が経ったある日の事です。
いつもトイレの長かったおじさんが、その日はなかなかトイレから出てきません。
心配になったおばさんが様子を見に行くと、おじさんはトイレで倒れていたのです。(大量の下血による貧血)
救急車で運ばれた病院で告げられた病名は
「末期の直腸がん」。
しかももう既に脳にも転移していました。
そして・・・
おばさんはあっという間に未亡人になってしまったのです。
当時、長女が中三、長男が小六でした。
当時のことをおばさんは
「何がなんだか訳がわからない精神状態だったけど、なんとしても子供たちだけは一人前にしなければ!という強い想いが湧いてきたのだけは覚えてるよ」
と話します。
その時おばさんは四十二才でした。
三人が生きていくためにはとにかく仕事をみつけなければなりません。
料理店の仲居やスナックの手伝いなど、いろんな仕事をしたそうです。そして少し落ち着いたころ、友人の紹介である会社の事務員として就職することができました。
とにかく当時は
「今を生きる」
ということの連続だったそうです。
そして気が付くと・・・
あれほど悩んでいた自律神経失調の症状はまったくなくなっていました。
自分の身体のことを悩むヒマがないこと、自分がしっかりしなければ子供たちが路頭に迷う!という強い想いと切羽詰まった経済状況が結果的に「病」を吹っ飛ばしてしまったのです。
その後三年間、事務員としてその会社で働き、介護の専門学校に入学するために退職します。
もっと専門的な技術を身に付けるためでした。
そして専門学校を卒業後、大手の老人介護施設に就職します。
おばさんは、まるで水を得た魚のように生き生きと働くようになりました。
意外なことに、若いころ身に付けた日本舞踊がとても役に立ったといいます。まさしく「芸は身を助ける」です。
がむしゃらに人の為に働く女性って輝いて見えるのでしょうね。
もともと美人で明るい性格のおばさんでしたから、最初にお世話になった会社の工場長(六歳年下の独身)に猛アタックされ再婚することになりました。
その方はとても人望のある方で、その後その会社の社長になりました。
今ではおばさんは何不自由なく幸せに暮らしています。
私は、長年おばさんを見ていて気付いたことがあります。
「人は自分の事よりも人の為に一生懸命になったときに、初めて我を忘れることができる。そして我を忘れることができた時に自分の病のことも忘れることができ、病は快方へと向かう」と。
昨年、大みそかに九三才で天寿を全うした母の四十九日の時に、叔母さんはしみじみとこんな話をしてくれました。
「私は遠くに嫁いで、そこでいろんなことがあった。でもつらい時や苦しい時には自分には頼りになる実家があるということが、どれほど心強かったことか!裕のお父ちゃんにはずいぶんと助けてもらった。 裕のお父ちゃんは鈴木家の要(かなめ)。
扇子の要がしっかりしていれば扇子はバラバラにはならん。どんなに遠く離れていても家族の絆がしっかりしていれば最後のところで踏ん張れる。
私は今でも鈴木家の一員だと思っているよ。お父ちゃんには本当に感謝している。
でもなあ・・・
私が一番感謝しているのは、あんたのお母ちゃんよ!
清子姉ちゃんは本当にスゴイ人だった!
なかなか清子姉ちゃんみたいにはできるもんじゃない。
本当に有難うございました」と言いたい。
苦難を乗り越えてきた叔母さんの言葉は、母への感謝の気もちが溢れていました.
次期・鈴木家の要になれるよう修行中のヒロシでした。
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