健康コラム COLUMN

認知症は予防できる!毛細血管のゴースト化から始まる認知症!

2025年7月7日

今回は全身の 血管の99%をしめる 毛細血管について書い てみたいと思います。

その前に 「血管のゴースト化」 って何?

それについて少し説明しておきますね。

 

全身の細胞のひとつひとつにまで酸素と栄養を届けたり、細胞の中で出た老廃物を排出するための血管が 毛細血管です。

その毛細血管の「姿」は残っているけれども血液が流れていない毛細血管のことを「ゴースト血管」といいます。

この状態が続くと、血管はいずれ消えてなくなります。

まるで幽霊のように…

 

だからゴースト血管といいます。

 

意外なことに健康な若者の中にも一割の人にゴースト血管が見つかったそうです。

毛細血管がゴースト化してしまうと、酸素と栄養を絶たれた細胞は壊れます。

これがじわじわと体に重大な問題を引き起こし、結果深刻な病を引き起こします。

 

数年前、NHKスペシャル「ゴースト血管が危ない!美と健康のカギ・毛細血管」という番組を見ました。

その中でとても興味深い 二点を書いてみます。

 

愛媛大学の伊賀瀬先生の研究によると

◯脳内の毛細血管の流れが悪くなって生じる「白質病変」があると、軽度認知障害のリスクが二倍に上がり、最終的には認知症に進行するという。

◯毛細血管が減少すると、認知症の原因であるアミロイロベータの排出ができなくなり、脳内がゴミでいっぱいになってしまう。

 

この二点の研究データは これからの高齢者医療のポイントになると思います。

「毛細血管のゴースト化を防ぐことが認知症を減らすことになる」 ということです。

 

ところが残念ですが・・・ 現在、病院の薬の中には 「毛細血管のゴースト化を防げる新薬」 は見つかっていません。

言い方を変えれば 「病院の薬では毛細血管の ゴースト化を防げない」 ということです。

 

この番組の中でも 毛細血管のゴースト化を防げるものとして 「シナモン(桂皮ケイヒ)」「ヒハツ」 「ルイボスティー」 が紹介されています。

「これらはすべて自然のものです。

皮肉なものでこれだけ医学や科学が進歩した現代でも全血管の99%をしめる毛細血管の「ゴースト化」を防げるものは「自然のもの」であるということなのです。

 

また大昔から漢方医たちが使い続けてきた生薬の中にも ゴースト化を防ぐものがたくさんあります。

有名なものとしては 「牛黄 ゴオウ」 「霊芝 レイシ」 「高麗人参コウライニンジン」 「田七人参デンシチニンジン」 「桂皮 ケイヒ」 「遠志 オンジ」 「サフラン」 など多数。

そしてなんと、食品としては 「バイオリンク (筑後産クロレラ)」 があげられているのです。

私の父(94歳) 妻の両親(96歳・92歳) 三人とも頭は冴えています。

 

長年これらの自然薬を飲み続けているおかげだと思います。

90歳を過ぎた三人を身近に見ていると 「人間は血管と共に老いる」 という言葉を実感する今日この頃です。

 

ヒロシでした

【私の薬屋人生のターニングポイント②】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2024年12月23日

次回の続きです。

お待たせしました。

あれから明石のおばさんの身に起こったことをお話ししましょう。

 

小さなアパート暮らしから始まった慎ましい都会の生活の中で、おばさんたち一家は、新設された県営住宅の抽選に当たり以前に比べて広くて快適

な住居に住めることになりました。子供も女の子と男の子のふたり授かりました。

 

でも依然として自律神経失調症に悩まされていました田舎の母親(私の祖母)も相変わらずおばさんの所に通っていました。

ところが、数年が経ったある日の事です。

いつもトイレの長かったおじさんが、その日はなかなかトイレから出てきません。

心配になったおばさんが様子を見に行くと、おじさんはトイレで倒れていたのです。(大量の下血による貧血)

 

救急車で運ばれた病院で告げられた病名は

「末期の直腸がん」。

しかももう既に脳にも転移していました。

 

そして・・・

 

おばさんはあっという間に未亡人になってしまったのです。

当時、長女が中三、長男が小六でした。

 

当時のことをおばさんは

「何がなんだか訳がわからない精神状態だったけど、なんとしても子供たちだけは一人前にしなければ!という強い想いが湧いてきたのだけは覚えてるよ」

と話します。

その時おばさんは四十二才でした。

 

三人が生きていくためにはとにかく仕事をみつけなければなりません。

料理店の仲居やスナックの手伝いなど、いろんな仕事をしたそうです。そして少し落ち着いたころ、友人の紹介である会社の事務員として就職することができました。

 

とにかく当時は

「今を生きる」

ということの連続だったそうです。

 

そして気が付くと・・・

あれほど悩んでいた自律神経失調の症状はまったくなくなっていました。

 

自分の身体のことを悩むヒマがないこと、自分がしっかりしなければ子供たちが路頭に迷う!という強い想いと切羽詰まった経済状況が結果的に「病」を吹っ飛ばしてしまったのです。

 

その後三年間、事務員としてその会社で働き、介護の専門学校に入学するために退職します。

もっと専門的な技術を身に付けるためでした。

 

そして専門学校を卒業後、大手の老人介護施設に就職します。

 

おばさんは、まるで水を得た魚のように生き生きと働くようになりました。

意外なことに、若いころ身に付けた日本舞踊がとても役に立ったといいます。まさしく「芸は身を助ける」です。

 

がむしゃらに人の為に働く女性って輝いて見えるのでしょうね。

もともと美人で明るい性格のおばさんでしたから、最初にお世話になった会社の工場長(六歳年下の独身)に猛アタックされ再婚することになりました。

 

その方はとても人望のある方で、その後その会社の社長になりました。

今ではおばさんは何不自由なく幸せに暮らしています。

私は、長年おばさんを見ていて気付いたことがあります。

「人は自分の事よりも人の為に一生懸命になったときに、初めて我を忘れることができる。そして我を忘れることができた時に自分の病のことも忘れることができ、病は快方へと向かう」と。

 

昨年、大みそかに九三才で天寿を全うした母の四十九日の時に、叔母さんはしみじみとこんな話をしてくれました。

「私は遠くに嫁いで、そこでいろんなことがあった。でもつらい時や苦しい時には自分には頼りになる実家があるということが、どれほど心強かったことか!裕のお父ちゃんにはずいぶんと助けてもらった。 裕のお父ちゃんは鈴木家の要(かなめ)。

 

扇子の要がしっかりしていれば扇子はバラバラにはならん。どんなに遠く離れていても家族の絆がしっかりしていれば最後のところで踏ん張れる。

私は今でも鈴木家の一員だと思っているよ。お父ちゃんには本当に感謝している。

 

でもなあ・・・

私が一番感謝しているのは、あんたのお母ちゃんよ!

 

清子姉ちゃんは本当にスゴイ人だった!

なかなか清子姉ちゃんみたいにはできるもんじゃない。

本当に有難うございました」と言いたい。

 

苦難を乗り越えてきた叔母さんの言葉は、母への感謝の気もちが溢れていました.

 

次期・鈴木家の要になれるよう修行中のヒロシでした。

【私の薬屋人生のターニングポイント】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 パニック ストレス 自律神経 HSP

2024年11月18日

8月末に、健が主催しているネットの番組にゲストとして出演しました。

テーマは 「教えてヒロシ先生、 薬屋四十六年の歴史」。

インタビュアーとして、クロレラ工業の 検崎君も出演してくれたのですが、

彼が とても上手に聞き出 してくれるのでつい つい喋りすぎて八十 も話してしまいました。

私の薬屋人生は、三人の親族・家族の病気との出会いがターニングポイントとなっています。

 

①次男・健の喘息

②母の癌(胃がん・乳がん・肺がん・膵臓がん)

③叔母の自律神経失調症(パニック障害)

 

①と②は、ほとんどの方がご存知だと思いますが③のおばさんの話は知らない人がほとんどだと思います。

今回は、なぜ私が薬屋を開店した当時から「自律神経失調症」という「気の病」に取り組んでいるのか、

そのきっかけになった叔母さんのお話をしたいと思います。

 

日本舞踊の師匠をしていたおばさんは、私が中学生の頃に四国中央市から西明石市にお嫁に行きました。

嫁ぎ先は、親戚も友人も知り合いが誰もいない全く見知らぬ土地です。さぞ心細かったことでしょう。

小さなアパートで朝、ご主人を送り出した後は 赤ちゃんと二人だけという生活です。

 

たくさんのお弟子さん達に囲まれて尊敬されていた華やかな毎日とは全く違った環境。

そんな中で、ある日突然、息ができなくなり、目の前が真っ暗になり、気を失って倒れてしまいました。

どれくらい時間が過ぎたのか分からず・・・気がついた時に自分で救急車を呼び病院へ。

 

いろんな検査をしましたが全て異常なしでした。

そして医師からの診断名は「自律神経失調症」でした。

おばさんは、うまれて初めて聞く難しそうな病名に不安で不安でたまらなかったそうです。

まだまだこの病名が知られてなく、医者からのわかりやすい説明などなかった時代です。

「また倒れたらどうしよう!私が気を失っている間に、まだ幼い我が子に何か起こったら・・・」

考えれば考えるほど不安は雪だるまのように大きくなって いきまし た。

 

この不安感が脳の中の扁桃体という所を刺激して海馬という部分に記憶されます。

そしてちょっとした刺激(ストレス)でパニックを誘発。 これを繰り 返すのです。

その頃、祖母は娘のこんな様子を心配して、たびたび西明石に行っていました。

一度行くと必ず一ヶ月以上 滞在していました。祖母が行っている間は、ウソのように元気な状態が続きます。

母親がすぐ近くに居るという安心感が発症を抑えていたと思います。

 

まさに「気の病」です。  私もその頃は大阪の大学に行っていたので、よくおばさんの家に遊びに行っていました。

当時はまだこの病気の真っ只中。私が薬学生ということもあって、おばは自分の病状や薬についていろいろと質問してきました。

学生ですからまだまだ勉強不足です。ただただ話をよく聞いてあげるだけしかできません。

でもこの、聞いてあげた事が良かったと思います。

私が行くととても喜んでくれて美味しい料理を腹いっぱい食べさせてくれました。

周りには知り合いもなくてひとりぼっちで子育てをする不安もたくさんあったでしょう。

これから先のことを考えると心細かったでしょう。経験してない者には想像もできない思いがあったかもしれません。

 

本音で話せる友人が身近にいれば、愚痴や不安を口に出せたのに・・・。

「また気を失って倒れたらどうしよう」 という「不安感」が大きなストレスとなって交感神経のスイッチを入れっぱなしにして、パニック発作を起こす、まさに「パニック障害」です。辛かったと 思います。

 

ところが・・・ この長年、おばさんを苦しめていたパニック障害は、思わぬ出来事から治ることになります。人生は、何が起こるかわからないものです。

 

そして、そんなおばさんの人生を身内としてずっと聴いていた私は、自律神経失調症を治すヒントに気がつくのでした。

次号につづく ・・・

ヒロシでした