【「人間ってカッコ悪くてもいいんだよ! 人間らしくていいんだ①」 不安定な青春時代にその事を教えてくれた俳優がいました。】
2019年4月22日
こんにちは!ヒロシです。
くすり屋を40年もやっていますと、いろいろな人達との出会いがあります。
その中でも忘れることの出来ない人たちがいます。
その人達との出会いが今の鈴木薬局を形作ったと思っています。
今回は私の人生に大きく影響を与えた「映画」の世界をお伝えしたいと思います。
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息子に「萩原健一って知っとるか?」と聞くと、
「全然知らんなぁ誰それ?」という返事が返ってきました。
ひと世代変わればこんなものでしょうね。
萩原健一(ショーケン)を知っている方達は、
私と同世代かよほどマニアックな若者でしょう。きっと。
そんな彼が今年の3月26日に「消化管間質性腫瘍」という珍しい病気で天に召されました。68歳でした。
平成23年頃から闘病して8年間も普通にバラエティー番組やドラマにも多数出演していました。
自分の病気や闘病記をブログなどで公表するタレントが多い中で、彼は最後まで病気を隠し続け最後近くまで元気な姿を見せてくれました。
「最後まで一生懸命、萩原健一を演じ切ったんだなぁ・・・」
「人間の弱さを教えてくれた彼は最後に人間の本当の強さを教えてくれたのかもしれない・・・」
私の心にいろんな想いが湧き上がってきました。
年齢が近いと言う事。
私の青春時代が彼が一番輝いていた頃と重なった事。
当時彼のドラマをよく見ました。
その頃の出来事が思い出されます。
映画好きの私が俳優としてショーケンを大好きになったのは昭和47年「約束」という映画を観てからでした。
当時、彼は円熟期の大女優・岸恵子の相手役として抜擢された新人でした。
ところが大女優を前に一歩もひるむ事なく新人らしい初々しさと自然体の演技で岸恵子を圧倒していました。
とても地味で暗い映画の中で、彼の演技だけが輝いて見えたのを覚えています。
この作品にはちょっとした裏話がありまして、
実は当時彼はグループ・サウンズを卒業して映画監督を目指していました。
そしてこの「約束」に助監督として参加していました。
運命とは皮肉なものですね。
岸恵子の相手役の俳優が突然降板してしまったのです。
そこで急遽、その代役に抜擢されたのが助監督のショーケンでした。
そんなわけですから全くのど素人の彼に誰も期待をしていませんでした。
ところが、作品で本人さえも知らなかった俳優としての才能が開花することになります。
俳優って本人の本質と役がとても似ている役に偶然巡り会うことがあります。
私はショーケンは一番最初にその役に巡り合ったのではないかと思います。
つづく・・・