健康コラム COLUMN

【失敗は大人になるための大切な準備運動】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年3月16日

70歳に手が届く歳 になりますと、未来 のことよりも過去のことを語るようにな るものですね。

(祖父も父もよく昔話を してくれました。) 今日はその昔話にお付き合いください。

私が小学生低学年の頃、街の商店街は活気に溢れ子供達の遊び場でもありました。

 

裕少年も一日分の小遣いの10円玉を握りしめて、友達と一緒に駄菓子屋に行くのが日課のようになっていました。

当時の駄菓子屋には何らかのくじ引きがあって、一等・二等・三等が当たるようになっていました。

(建前は)純真無垢な小学生達は、今度こそは!明日こそは!と毎日ハズレばかりを引いていました。

 

ところが ある日のこと。

駄菓子屋に行くと、客は珍しく私一人だけ。

そして、いつも引いているくじは当たりの一等・二等・三等が一個ずつ残っていて、くじは、あと三枚。

 

子ども心に「これって三枚引いたら全部当たり じゃ!ヤッタぞ!」 「おばちゃん、くじ 引くで!」

三枚全部買って引きました。

ワクワク…………ん? なぜか全部ハズレ。

 

「何で???どうして??」 そこへおばちゃん、 「裕ちゃん、残念じゃったな」 裏からハズレを三つ持って来てくれました。

気の弱い私はおばちゃんに 「何でなん?」 とも言えず、トボトボと家に帰ったのでした。

翌日、一等・二等・三等は何十円かで売られていました。

幼心に世の理不尽さを見せつけられた出来事でした。

 

「くじ引きの一等は最初から抜かれているものである」

「くじが終わったら当たり商品は高値で別売りするもの」

 

あの頃のおばちゃんの顔が思い出されます(笑)

 

そんな裕少年もたくましく成長して小学六年生になりました。

友達もたくさん増えて、友達と遊ぶことが人生のすべてみたいになります。

秋祭りには母、祖母、叔母さんたちに貰ったたくさんの小遣いを持って祭りに出かけます。

 

何を買おうかなぁ…友達と連れ立って露店を見て回ります。

その時、子供達の人だかりができている店を見つけました。知った顔もたくさんいます。

テキ屋のおじさんの太い声。

「ボク、残念だったなぁ。もうちょっとだったのになぁ。次は当てよな!当たったらこの中からおもちゃでも プラモデルでも 好きなの持って 帰ってええからの!」

おじさんの後ろには当時流行のおもちゃや高価なプラモデルが山のように積み上げられています。

 

「じゃあ今度は予行練習するで。行くよーホイホイホイホイ。さぁーどうじゃー!どこに当たりがあるかなーそこのボク! どれだと思う?言うてみー!」

「これじゃー絶対!」 私と同じくらいの年の男の子が叫びます。

「おお、これじゃな?これで、ええんじゃな?」

おじさんが掌の中の小さな包みを開けると、中から赤い紙が出て来ました。

 

 

「当たりじゃ!ボクすごいなーお金出しとけば、好きな賞品、貰えたのになあー残念じゃったのー次はお金かけてみるか!」

 

これは、三枚の切手くらいの小さな包みの中の、どれに赤い紙が包まれているのかを当てる、単純なゲームです。

 

おじさんが小さな台の上でその三個の小さな包みを、両手で右へ左へと素早く入れ替えて、どれがどれだかわからないようにします。

「ホイホイホイホイ。さぁーどうじゃー!」

これは面白そうです。

 

おじさんの手元をよく見てれば絶対間違えない自信がある!小遣いもたっぷりあるし、私も参加することにしました。

ところが、私の目には絶対これだ!と思えるのですが、いざ開けてみるとハズレ! 気がつくとこのゲームにのめり込んでいました。

友達の忠告も耳に入らず、気がつくとあれだけ持っていた小遣いも全部なくなっていました。

挙句の果てには友達にも参加するよう勧める始末。

すっからかんになった 私は、母にも祖母や叔 母さんにも言えずなん とも情けない後味の悪 い秋祭りとなりました。

 

中学生になって初めて、 あの時のテキ屋のおじさんがやっていたゲー ムは、マジックであり、 子供達を騙す手口だったことがわかりました。

博打は恐ろしい! 絶対に勝てんようにできてる! 駄菓子屋のおばちゃんより怖い!

 

 

子ども心に恐怖を感じたのを覚えています。ある意味、世の中の理不尽さを教えてくれた先生だったとも言えるかも。

大人になってから友達や先輩に誘われ、お付き合いで麻雀、パチンコ、競馬、宝くじなどやりましたがのめり込むことは決してありませんでした。

子どもの頃のあの出来事がストッパーになって。

この頃、自分の人生を振り返ることが多くなりました。

いろんなことを経験しましたが、子どもの頃の失敗は大人になるための大切な準備運動だったんだなあと思うのでした。

 

今でも全くクジ運のないヒロシでした