中学時代の「しゅくちゃん」の 話を「じゅんにい」に 聞いて来ました。
2022年1月17日
自宅で着替えをしていた時、テレビから 「真鍋淑郎氏が今年のノーベル物理学賞に決まりました。
米プリンストン大学 上席研究員です」と いう声が聞こえて来ました。
続いて 「愛媛県出身の九〇歳です」という声。 思わず手を止めて、 テレビ画面を見ました。
そして 「四国中央市新宮町出身」の声にテレビを二度見。 「三島中学(現・三島高校)出身です」の声で、三度見! どんどん、真鍋氏が身近に感じられて来ました。
「九〇歳で三島中学出身」 それなら、この方、親父と同級生に違いない! さっそく、実家に出かけて行きました。
「おとう!あのノーベル賞もらった真鍋さんって、ひょっとしてお父と同級生 と違う?」
「おう、そうよ!同じクラスになったこともあるよ」
私は「やっぱり!」 世界のノーベル賞受賞者と同級生だった人が目の前におる!
それも父だとは!
さっそくインタビューすることにしました。(笑)
私 「スゴイよなー!これって自慢できるで!」
父 「アホ言うな!そんなことで人に自慢できるか!ただ 一緒に勉強しただけでワシは何もしてない。同じ時代を生きただけじゃ。」
私 「ほんでもノーベル賞受賞者と同じ教室で授業を受けてた人なんて、日本でもそん なにおらんで!それも、今九〇歳で頭もハッキリして身体も元気でおる人は、そうそうはおらん!それだけで自慢よ」
父「そうかのう」
私「ところで真鍋さんってどんな人だったん?東大に行けるくらいの人やから天才的に頭、よかったんだろうなあ…」
父「まあ、みんなそう思うわなあ。ところが中学時代はあんまり目立たんかったんよ。
頭の良かった奴は他にもいっぱいおったしなあ。とにかく、特別目立つ存在ではなかった。
ワシの記憶では休み時間でも机に向かって勉強しよるイメージだったのう。
ワシは中学時代は陸上に明け暮れて駅伝の練習ばかりしよった。勉強はあんまり興味なかったんで、余計に真鍋くんとは接点がなかったのう。
それでも、何となく気が合うてな、真鍋くんは一歳年上のワシ(父は一年間中学浪人している)のことを「じゅんにい」(父の名は順市)と呼んでくれて、ワシは「しゅくちゃん」と呼んでいた。
ワシは毎日、陸上の練習が終わったら三島から上分町まで(約5キロ)走って帰って、すぐに家業の手伝いを遅くまでして、さあ宿題しようと思っても眠たくてつい寝てしまってなあ、結局、宿題せんまま学校へ行くわけよ。
そんな時、しゅくちゃんによく宿題を写させてもらった。嫌な顔ひとつせんと気持ちよく写させてくれたのう。
ある時、なんとはなしに、しゅくちゃんにこんな事を聞いたことがあるんじゃ。 (しゅくちゃんはホンマに頭、ええのう。休み時間もいつも勉強しよるし、勉強ってそんなに面白いもんかいのう?) そしたらしゅくちゃんは (順兄よ、勉強好きな奴なんかおらんわ!ワシは新宮の山の中から三島に下宿までさせてもらって三島中学に行かせてもらっとる。勉強せんと家の者に申し訳ない。どうせするんなら皆に負けとうはない。皆が三時間するならワシは六時間する。皆が五時間するならワシは十時間する。みんなの倍、勉強するんじゃ!)とな。 下宿屋のおばさんが(淑郎君が寝てるのを見たことがない。いつ寝よるんじゃろうか?)と言よったと言う話は本当なんだと思うたよ。彼は努力の人なんよ。その結果が九〇歳で貰ったノーベル賞なんだと思うのう。 (人の倍せんといかん)という言葉が印象に残っとるのう。」
彼のことを話す父の顔はなんだか嬉しそうでした。
私 「でもなあ、真鍋さんは人の倍以上、勉強して東大に行って、結果、ノーベル賞まで貰ったけど、普通の人はなかなかそうはいかん。やっぱり、もともと、頭がええんだろうね」
父 「お前が勉強して、勉強して、人の倍、勉強してもしも東大に行ってたら、今頃はこの町にはおらんだろうな。 そしてこんなにしょっちゅう実家にも来れんだろうし、 このくらいが一番ええんよ!あんまり賢すぎたら、親から離れて行く。 地元の薬屋で上等!」
隣で聞いていた母も、一緒に大きくうなづきながらみんなで大笑いしました。
私のほどほどの二人の息子も 私たち夫婦のそばに住んでくれ、可愛い孫たちにもしょっちゅう会うことができます!
上等!上等!
ヒロシでした