健康コラム COLUMN

【人間万事塞翁が馬②】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2023年3月22日

「のどが痛いんです」 「はい、消炎剤です」

「熱が高いんです」 「はい、解熱剤」

と、目先の症状を抑 えるだけの薬を何の 疑いもなく勧めてい た普通の薬局だった昔の鈴木薬局。

そんな薬局が、

今のように「本来、人間が誰でも 持っている自然治癒力 を高めることが何より大切。その自然治癒力を高めるお手伝いをしたい」

と思うようになったのは、喘息で苦しむ次男・健を育て始めた頃でした。

その頃のことを書いた妻の昔の「お元気さんつうしん」の原稿を前回、少し紹介し始めましたが今回はその続きです。

 

毎月のように熱を出し、

一歳半までの間に「風邪」 → 「気管支炎」 → 「喘息性気管支炎」 → 「喘息」の診断を受けた健。

隣の市の評判の小児科で診てもらい、薬を出してもらっていた。

が、吸入をしてもらっても、何日もゼーゼーが止まらず、 食欲がなく て何も食べられず、夜も息ができないので寝られなくて、何日も苦しい日が続くようになっていた。

夜中の突然の発作で救急病院に駆け込むこともあった。

 

一ヶ月の間に何度も小児科に通った。そして、何種類 もの喘息の薬が出された。

この小さい子にこれらの薬を毎日飲ませなければならない。

発作が起きていようが起きてなかろうが、だ。

いったい、いつまで、何年間、この新薬を飲ませればいいのだろう。不安で不安でたまらなかった。

主人は何とかこの子の喘息を治してやりたいと、全国各地の研修会に出席し始めた。

研修会の終了後、講師の先生の元に駆け寄り、個人的に息子の相談をするのも毎度のことだった。

全国的に有名な漢方の先生にアドバイスをもらいながら本格的に漢方を学び始めたのもこの頃。

(大学では漢方は履修科目になかった)

 

また一方で、症状がひどいのでかかりつけの小児科の先生からの紹介で、善通寺こども病院のアレルギー専門医の西川清先生に診てもらうようになっていた。

今のように高速道路は通ってないから朝早くに家を出て、帰ってきたらいつも夕方だった。

 

それまで市内しか車を走らせたことのなかった私は緊張しまくりのガチガチの運転で、二週間ごとに善通寺につれて行った。

先生の指示の元、 専用の家庭用の 吸入器を購入し 毎日、予備吸入 ということをし始める。

 

病院の薬を飲ませ、主人の処方した漢方薬も飲ませ続け、その甲斐あってか、夜中に救急病院に駆け込むことはなくなっていった。

そして小学生の頃には何とか、漢方薬だけでコントロールでき始めるようになった。

でもまだ小発作は時々あり、学校の担任からの電話で、吸入器と牛黄清心元を持って、発作の起きた健の元に駆けつけたこともあった。

 

今でも彼は、牛黄清心元の香りを嗅ぐと安心した気持ちになると言う。

清心元には本当に助けられた。

今でもこの処方は彼のお気に入りのひとつ。

主人は、自分が学んできた漢方薬を色々と試していた。

一方で病院が出す新しい薬についても勉強も進めていたようだ。

この時期のいろいろな学びや試行錯誤が、それから後の鈴木薬局の理念の源になっていったと思う。

彼の喘息が、主人と鈴木薬局を変えたのかもしれない。

 

その後、高校時代は遊ぶのにも何をするのにも一生懸命な子に育ち、睡眠不足でも全くスタミナのきれない健のタフさを、まわりの友達がみんな不思議がっていた。

喘息治療のために彼が飲んでいた自然薬や漢方薬は、すべて自然治癒力や抵抗力をつけるものばかりなので、身体に底力がついていたのだと思う。

そしてこの時期に身長がぐんぐん伸びて、一八〇センチ近くまで大きくなった。

主人いわく、飲んでいた高貴薬のおかげだそう。

 

その健がある日突然、「俺、薬剤師になる」と言い出した。

思わず「あんた、自分の偏差値知ってんの?そんな簡単なもんと違うで!」と言ってしまった(言い過ぎた…) それから健は人が違ったかのように猛勉強を始める。

早いものであれからもうすぐ四年。もうすぐ調剤実習が始まるとかで忙しそうな様子。

ガンバレ! 我が家の場合、「息子の喘息」が薬局を変え、本人の進路を決めたことになったようだ。

人生っておもしろい!

二〇〇六年記

 

当時のことを思い出しながら読んでいくと、何か大きなものに導かれて今があるのかもしれないと思ってしまいました。

ヒロシでした